第17回 「死(A)」を見つめて
「死」を便宜的に2つに分けて、今回はそのうちの片方の話。
『ブンナ』の第2曲「椎の木のてっぺん」は、 椎の木に登ったブンナが見下ろす光景から始まります。
絶景を眺めている間に雲行きがあやしくなり、 手負いの動物たちが運び込まれ、
彼らの後悔を聞くうち、 そこが鳶のエサ保管庫と判明するのです。
「あッ、来やがッたな」の一声で鳶の再来が告げられると、
集められた“エサ候補”たちにとって、それは、
食われる場所=鳶の巣へ連行される合図でした。
自分を食べるのは後回しにしてくれと懇願する叫び声に
この世は弱肉強食が鉄則だと歌う声がかぶる。
それらが混然となり、やがて充満したとき、唐突に曲は終了します。
鳶がエサを回収し終わったのです。
あとに残されたのは、穴に隠れていたブンナと、ボロボロの鼠。
ブンナが目撃したのは殺戮現場のようですが、
実は、食物連鎖の環[わ]の中の一場面にすぎません。
鳶が鳶の流儀でエサを巣へ運んだだけなんですから。
現代のヒトの洗練された環境からは連想しにくいとしても
それは日常的な食事の場面、
わたしたちが「いただきます/いただきました」の一言で
なにげなく繰り返している光景にほかなりません。
自分が生きるために「いただく」誰かのいのち。
ブンナが「いのちのかけはし[架け橋]」と呼ぶことの 側面のひとつが
これです(もうひとつの側面については、 鼠の最期を述べるときに
あらためてふれるでしょう)。
しかし、架け橋にならない「死」がある。
「いのちのかけはし[架け橋]になるんだ」と宣言したのにもかかわらず
その望みを、ブンナがかなえられないとしたら… (つづく)
今日の
「名前はまだない」猫の名前
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